旅に関する(?)本 |
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ギャラは幾らなのだろうか...日テレの24時間テレビの募金金額が 募金総額は9億5,108万1,316円だという このうち チャリティーなんだから
都知事選今日は都知事選挙の投票日であった こんな人もいるし 「ドクター・中松」 彼なら発明で東京を救ってくれるに違いない 出雲大社
松の並木を歩いていくと、それほど大きくはない鳥居に行き着く。その先には拝殿が見える。縁結びの神様で知られる出雲大社の拝殿は、左右非対称になっていて目を引く造りをしている。左右対称でない拝殿だけが変わっているわけではない。出雲大社ではお参りの作法も他の神社とは異なっている。普通は二拝二拍一拝なのだが、出雲大社では二拝四拍一拝なのだ。これが考古学者の心に触れるようだ。四は死を意味し、大国主命の怨念を沈める役目を負っている、なんていうのを読んだ記憶が蘇る。ここは長い歴史を持つ神社だ。もう創建当時の意味合いなど誰も本当のことは分からない。ただ分かるのは、正面以外の三方を山に囲まれている出雲大社は落ち着いていて、威厳があるということくらいだ。拝殿へと進む。右側に偏った正面にぶら下がる注連縄はやはり太い。出雲地方の神社の注連縄は、関東や関西の注連縄よりもかなり太いように見受けられる。屋根にぶら下がっているというよりも、注連縄に屋根がついていると言っても良いくらいだ。
10月のことを一般的には神無月というのは、神様がお出かけしてしまうからで、ではどこに行ってしまうのかというと、ここ出雲に来ている。だから出雲では神無月とは言わない。日本国中、ひょっとしたら世界中から神様が10月になると出雲に集結するこの月を神在月と呼ぶ。今年の12月1日は旧暦の10月1日に当たる。神様が出雲の町にやってきた野田。町は神様で溢れ、屋台が立ち並び、宿の予約は取りにくい。なんていうのは神様の世界の話であって、人間側から見た出雲の町は静かで、出雲大社も静けさの中に佇んでいた。それでも八百万の神様たちに惹きつけられたように人間もいつもよりは大勢訪れているようだった。 訪れている人の中では女性の人が多かった。やはり縁結びの神様だからなのだろう。他の神社ではあまり見られないくらいに真剣にお参りしている女性もいた。けれども今は神在月。縁結びの神様だけでなく、離縁の神様も来ているに違いない。あの女性たちの祈りがちゃんと縁結びの神に届いているのかどうか、人事ながら心配になってしまうのだった。僕の方はというと、特に結婚願望があるわけでもないので、いつも神社でお参りするときと同じように家族の健康と僕の仕事が順調にいきますようにと祈るだけ。結構控えめな方だと思う。これくらいだったら八百万の誰かが願いを聞いてくれても良さそうだ。いや、聞いてくれるに違いない。 妖怪
境港には妖怪がいる。東京の永田町にも妖怪が跋扈しているが、それとは種族を別にしているのだろう。人間に媚を売るような真似はしない。永田町にいる妖怪たちが仕立ての良いスーツに身を包み、顔には笑顔があったりして一見すると妖怪とは気がつかない場合が多いが、境港のは違う。見てすぐに妖怪と分かる。一番の違いは、境港の妖怪は人間の欲や怠惰さに付け込むことはあっても、正直に生きている人間に害は及ぼさないところだ。
境港のメインストリートである水木しげるロードには、沢山の妖怪のオブジェが置かれている。そう、ここは「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるさんの故郷なのだ。境港の駅から水木しげる記念館への道ばたには、水木さんが命を吹き込んだ妖怪たちで立ち並んでいる。 それにしても沢山の妖怪がいるものだ。名前を知らない妖怪も沢山いた。ろくろ首や座敷童など、それなりに著名な妖怪は21世紀になっても自力で生き残ったのかもしれないが、その他大勢の妖怪たちは水木しげるさんの漫画がなければ、とっくの昔に忘れ去られ、博物館の中に納まっていたのかもしれない。そのような妖怪に取って水木しげるさんは、足を向けて寝られない存在だ。 訪れたのが平日ということもあって、妖怪たちは誰にも相手にされず、少し寂しげであった。小雨の降る中、無言で立ち尽くしている。チョッカイを出す人間が周りにいないのだから仕方がない。妖怪は人間をおちょくってこそ、妖怪なのであって、人間から相手にされなかったら妖怪としては失格なのだ。その証拠に多くの妖怪は、人間の浅ましさや愚かさを狙って登場する。妖怪は生きていく人間の闇の部分を姿に現したものなのかもしれない。 人が生きていくのには、多くの戒めが存在する。その多くは合理的とは限らない。人を殺してはいけないという戒めでさえも、いけないということはほとんどの人間によって共有されてはいるものの、その合理性を明確、そして簡潔に述べることは難しい。だから間違っているということではない。合理的な理由がなければ間違っているという訳ではないのだ。無批判に受け入れなければならないことも世の中に存在する。しかし合理性を追求するあまり、人間は闇の部分を捨ててしまったのではないだろうか。妖怪という存在によって、闇が闇であり続けることができた時代は終わりを告げ、今は人間が人間のままでかつての闇の部分を曝け出し始めたのではないだろうか。最近の凶悪事件を見ているとそんな気さえしてしまう。 夕刻の水木しげる記念館では、地元の警察が飲酒運動撲滅キャンペーンをしていた。そこにはもちろん、鬼太郎とねずみ男の姿もあった。妖怪の世界でも飲酒運転は問題になっているらしい。 東京弁
標準語と言うと、なんだか東京弁がそのまま横滑りでなったと思われているがそうでもないらしい。東京弁と標準語は違うもので、かつては東京弁というのが歴として存在していた。神田辺りの職人なんかは、東京弁で話していたのだろう。しかし東京弁を話す人はもうほとんどいない。粋な東京弁を耳にすることはもうないのだ。
僕の家はもともと神田でお菓子のタネの問屋を営んでいたらしいのだが、親父は祖父の仕事の関係で小樽で生を受けた。「三代続かないと江戸っ子とは言わない」らしいから僕は江戸っ子ではないことになる。僕の意識としても自分が江戸っ子であるとは思っていないが、それでも本籍地は今でも神田岩本町だ。父も母も普通に標準語で話して、東京弁の風情は感じさせないし、僕も然りだ。 その本には今では耳にしなくなった幾つもの東京弁が挙げられている。大抵のものは意味がなんとなくは分かるものだったが、中には全く意味の理解できないものもある。例えば「弥助」。これだけ聞くと単に人の名前だと思ってしまうけれど、そうではない。「弥助」と言えばそれはお寿司のことを指していたのだと言う。語源は浄瑠璃の「義経千本桜」の登場人物の名だとなっているのだが、これが僕にはピンと来ない。 言葉は時代時代で良くも悪くも変遷していくもの。今の言葉使いだって、50年後には珍妙に聞こえたり、懐かしく聞こえたりするかもしれない。 伏見稲荷大社
京都市伏見区に伏見稲荷大社という神社がある。京都駅からJR奈良線に乗って稲荷駅下車。駅舎を出ると、すぐに参道があって辿り着く。
伏見稲荷大社は稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮だ。御祭神は稲荷神で宇迦之御魂神(うかのみたま)などの穀物の神の尊称らしい。宇迦之御魂神の「ウカ」には穀物・食物の意味があるのだそうだ。今では産業全般の神さまとして信仰されている。稲荷大社の縁起は、欽明天皇が即位(539年または531年)される前のまだ幼少のある日「秦の大津父という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見たことに始まる。早速方々へ使者を遣わして探し求めたところ、和銅四年(711)2月初午の日に秦伊呂巨が鎮座したのだそうだ。稲荷という名前は、秦伊呂巨が富裕に驕って餅を的にした時に、その餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去っり、そこに稲が生ったのが起こりとされている。秦伊呂巨はその稲の元へ行き、過去の誤ちを悔いた。そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、祀ったという。その稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。ちなみに秦(はた)氏は朝鮮半島の新羅地方出身であろうと考えられている帰化系氏族だ。名前の由来が面白い。仁徳天皇に絹織物を献上し、天皇がこれらの絹織物は肌膚(ハダ)に温かであると詔せられ、その時に「波多公」の姓を賜ったのがその由来とされている。その後雄略天皇の御代になると、秦公酒という者が天皇の御前に絹帛をうず高く積んで献上したので、「禹都万佐(うずまさ)」という号を賜ったとある。太秦という地名の始まりである。太秦は秦氏の領地だったのである。
僕が伏見稲荷大社に行ったのは、何処までも続くと思われる鳥居を見るためだった。本殿横の参道を行くと、噂に聞いていたとおり、鳥居が続いている。本当に何処までも続いているように思えてならない。進んでも進んでも終わりが見えないのだ。最初は平坦だった参道も次第に階段が現れて、しっかりとした山道になってしまう。汗が流れおち、息は上がる。しばらく行くと鳥居が終わって、一息をつくものの、まだ続きがある。そうこうしているうちに結局山頂まで登ってしまった。ひーひー、はーはー汗だくになりながら降りてくると、ひとりのおじいさんと行き違った。おじいさんはしっかりとした足取りではあるけれども、その進みは遅い。ゆっくりと参道を進んでいた。手には線香を持っている。線香には既に火がついていた。おじいさん、気が早すぎないか?おじいさんの足取りでは線香が燃え尽きるまでに辿り着けないような気が...。合掌。
読めます??
昔働いていた会社の先輩に「百々」という名字の人がいた。男の先輩だったけれど「もも」なんて可愛らしい名前なのだと思っていたら違った。「百々」と書いて「とど」と読むのだった。とどさん。なんだか大きくて、浜辺で寝転んでいる動物を連想して、その姿が先輩に似合っていたので、ひとりでにやけてみたのだけれど動物のトドは「海馬」と書くようだ。
日本には多くの名字がある。同じく漢字を使用する中国や韓国よりも圧倒的に多い。中国は約500種類、韓国は約250種類なのに対して日本には約29万種類くらいの名字があるらしい。そのためか変わった名字も多い。五十嵐さんではないけれど、名字に数字が用いられている名字も多いらしい。
「一」と数字の「1」を書いて「にのまえ」さんと読む。2の前なのでしょう。「二」は「したなが」さんとなります。確かに「二」の横棒は下の方が長い。言われればなんとなくイメージできるものの、ヒントがないと決して読めそうにない。こう来ると「三」が気になるところ。しかし残念ながら「三」は普通に「さん」と読むようだ。「三」さん、「さんさん」、呼びかける時にちょっと間抜けかも知れない。百々さんがいた会社には「藤」さんがいて、呼びかける時には「とうさん」と言わなくてはいけなくて、父さんでもないのに「とうさん」と呼ぶのが変に恥ずかしかったのを思い出した。
「一」の読み方もトンチのようだったが、「九」の読み方もトンチを解くようにしなければならない。「九」はこの文字だけで「く(きゅう)」と読む。一文字だけで「く」。だから「いちじく」。なんじゃそりゃという感じだけれど、そうなのだから仕方がない。トンチ系では他に「小鳥遊」という名字がある。これも普通には読めない。解読のヒントはこの時から想像するイメージにある。小鳥が遊んでいる。ピーチク、パーチクしているのだ。長閑な風景。そこには気の合う友人しかいない。せせらぎの音が聞こえ、ゆっくりと時間が流れている。小鳥にとってもやはり平和で天敵がいない。そうです、敵がいない。鷹がいないのです。だから「たかなし」と読むのだそうです。鷹以外にも小鳥の敵はいるのではないかなんて疑問を持ってはいけません。
日本にはそれだけ多様性に富んだ名字がある一方で、名字を持たない人もいる。まぁ数は少ないけれど。ちなみに○○宮家とか呼ぶ場合の○○宮は名字ではないのだそうです。
姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します....
権威に弱い
中島誠之助さんの本を読んだ。あの「良い仕事してますねぇ」の中島さんの本だ。骨董商を営んでいる中島さんは今まで多くの偽物を見てきたと同時に、偽物に騙される人を見ている。あの中島さんでさえ、長い人生の中では騙されたこともあるのだと言う。中島さん曰く、権威に弱い人間ほど騙されやすい。特に日本人は権威に弱く、盲目的にそれを信じ込んでしまうことが多いようだ。骨董の世界では箱書きや鑑定書がそれに当る。箱書きや鑑定書がついていても専門家が見ると証明している訳でもなく、言い逃れしている箱書きや鑑定書が多いらしい。それでも素人はそれを頼りに価値があるものと思い込んでしまうのだ。
僕も権威には弱い。僕にとっての身近な(?)権威は世界遺産だ。「ユネスコの世界遺産リストに登録されています」となってると、なんだか行ってみないと損してしまうような気がしてしまう。この前京都を旅行したときもその言葉に釣られて方々へ赴いてしまった。何せ「古都京都」は世界遺産の宝庫だ。京都で登録されている17の寺社と城のうち、実に9つの世界遺産を見てしまった。そしていつものことなのだけれど後悔した。
「僕はユネスコの世界遺産リストに翻弄されている...。」
ユネスコのホームページによると世界遺産とは「地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれた貴重な宝物」だそうだ。歴史の宝物です。だからビジュアル的に圧倒されるとは限らない。かつてその場所で歴史的な出来事があったりしたことは事実なのだけれど、見た目は「なんだかな〜」ということも十分にあり得る。京都の世界遺産の中では宇治上神社ががっかり世界遺産の名に相応しかった。本殿は日本最古の神社建築なのだそうだが、建築に明るくない僕には良く分からない。地味な建物にしか見えなかった。世界遺産でなければ通り過ぎてしまうだろう。
上には上がいる。宇治上神社はまだましな方かも知れない。僕が訪れたことのある世界遺産の中でもっともがっかりさせられたのは、イランにあるスーサ(シューシュ)だ。紀元前4000年前から人が住んでいたスーサは、アケメネス朝ペルシャの時には都になった町。その後栄華を極めるものの、アレキサンダー大王によって陥落してしまった。大王がスーサの町にあった金銀財宝で遠征費用を全て賄えたくらいにこの町は繁栄していたようだ。しかし栄枯盛衰。今ではただの荒野だ。柱のひとつでも残ってやしないかと目を凝らしても、何も見えない。何もない。ところどころに穴が残っていたりするだけなのだ。砂まじりの風に曝されながら僕は呟いた。
「なんでこんなところに来たのだろう。」
やはりビジュアル的に刺激がある方が訪れて楽しいですね。でもこれからも世界遺産という言葉に敏感に反応してしまうのだろうなぁ。権威には弱いですから。
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