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2006年09月30日

14番

 野球チームで最初に背番号を付けたのは大リーグのニューヨーク・ヤンキースで1929年のことだ。遠くからでも選手を見分けることが出来るようにするためだった。背番号は打順に従って付けたらしい。だから三番を打っていたベーブ・ルースが「3」で、四番を打っていたルー・ゲーリックが「4」だった。

 サッカーはというと、1928年にイングランドでユニフォームに初めて背番号がつけられた。今では団体スポーツのほとんどで背番号が導入されている。背番号がないスポーツで思い浮かぶのはクリケットくらいだ。皆が白いユニフォームを着てプレーしているクリケットは、ルールに明るくないこともあって、敵か味方かさえも見ていて良く分からない。

 最初は打順やポジションで付けていた背番号だったが、今の時代ではそのような意味合いは薄れてしまった。ゴジラ松井の55番やイチローの51番なんて、昔であったらレギュラーの背番号ではないだろう。サッカーにおいてもクラブチームの試合で個人個人が特定の背番号を付けることになって久しいが、かつては個人が特定の背番号を付けていたのは代表試合がメインだった。

 日本でもエースナンバーを連想させる10番はブラジルのペレが付けていたので、そのようなイメージを持つことになった。ペレは1958年のスウェーデン・ワールドカップに17歳で初出場した際に10番を付けていた。17歳でブラジルのエース?幾らサッカーの王様と言っても早熟過ぎる。実際のところ大会が始まるまで少なくともブラジルでは10番にエースナンバーというイメージはなかったのだ。ペレはチーム最年少だ。残っていた番号を付けたに過ぎない。それがその後のペレの大活躍でブラジルのエースナンバーとなっていったのだった。その後はジーコが付けたり、ロナウジーニョが付けたりしたのはご存知の通り。

 アルゼンチンでも10番がエースという印象がある。それはもちろんマラドーナによるものだろう。

 ドイツでは10番が特別というイメージはない。ドイツ代表で10番を背負って世界に名を轟かせた選手は少ないかもしれない。1990年のイタリア・ワールドカップ時の主将であったマテウスくらいかな。その代わり13番はエース・ストライカーというイメージがある。1970年のメキシコ・ワールドカップで得点王に輝いたゲルト・ミュラーが付けていたからだと思う。

 10番以外で背番号と選手名が最も結びついているのは14番だろう。言わずと知れたヨハン・クライフの背番号だ。クライフといえば14番、14番といえばクライフというくらいに固く結びついている。逆にクライフ以外でオランダの14番と言われても、思いつく選手がいない。僕が知らないだけかもしれないけれど。まぁそれだけクライフが不世出の天才ということだろう。

 僕の家から最寄りの駅に向かう途中に、株式会社クライフという看板が架かっている建物がある。ずっと気になっていた。ただ看板があるだけで店舗がないから、何を営んでいる会社なのか分からない。社長がサッカー好きなのかも分からない。でもオランダ贔屓なのかな、と勝手に想像していた。それが今日、建物の前に株式会社クライフの社用車が停まっていた。ナンバー・プレートを見ると、その番号は「14」だった。やっぱり!!顔も見たことの無いけれど、株式会社クライフの社長さんは、空飛ぶオランダ人のファンだったのだ!!

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