« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

2006年12月27日

サントリーニの陽は沈む

church and sunset


サントリーニの陽は沈む

海の向こうに沈んでいく

ふと

気が付くと

ついさっきまで

真っ白だった町並みは

セピア色へと

移ろいでいた




(ギリシャ・サントリーニ島)

旅の供にはやはりこれでしょう...

ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス
ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス地球の歩き方編集室

ダイヤモンド社 2006-10-21
売り上げランキング : 24964


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2006年12月25日

クリスマスを二度味わう...

 今年も例年通りにクリスマスがやってきた。クリスマスとは言うまでもなく、イエス・キリストが生まれたとされる日である。日本のキリスト教徒の割合は、一説によると1%程度とされるが、クリスマスの時は皆がこぞってにわかクリスチャンとなってクリスマスを祝うことになる。日本ではイエス・キリストでさえも八百万の神々の一人でしかない。もっともにわかクリスチャンが祈るのは、平和や幸せや贖罪ではなくて、自らの物欲を満たすことだけなのだ...。

 クリスマスもバレンタイン・デーも日本では商売の臭いがして、なんともやるせない。僕は別にクリスチャンではないので、日本のクリスマスが欧米諸国の本来の酒興儀式としてのクリスマスと異なる様相を呈していることに、特別の感情は持っていない。けれどこの商業主義は鼻について嫌な感じがしてしまう。商機に繋がるなら、何でもありと言ったら大袈裟かもしれないが、初詣などの日本古来の行事をビジネス界が利用することはないのは何故だろう。逆に昨今の風潮では、昔からあったお中元やお歳暮は虚礼廃止の波を受けて、下火になっているような気がする。

 日本では当たり前のようにクリスマスと言えば、12月25日となっているが、これは実はキリスト教の宗派によってことなることを知っているだろうか。新約聖書にはイエスの誕生日に関する記述は無く、実はイエスの誕生日については諸説あるのが事実である。

 カトリックとそれに対抗して生まれたプロテスタントの西方教会の世界においては、イエスの誕生日は12月25日とされている。日本では無条件にこれを採用したようだ。日本に多大な影響を与えた西洋の国がアメリカなどの国だったことからして仕方がない。遅くとも西暦345年にはカトリックの教会で始まっていたらしい。起源はミトラ教の冬至の祭を引用したものではないかと言われている。

 その一方、ロシア正教などの東方教会のクリスマスはいつなのであろうか。それは1月7日なのだ。ということは西方教会でクリスマスを満喫し、すぐさま東方教会の地に移動すれば、クリスマスを二度満喫することが出来るのである。なんだかちょっと得した気分になれるかもしれない。

 ホステスさんなどは一度試してみればいいのではないだろうか。プレゼントを倍の量も貰えるに違いない...。

クリスマスが終われば、次は初詣です...

日本の神々
日本の神々谷川 健一

おすすめ平均
stars「日本」を知るために、すべての議論に先立って読むべき本
stars妹萌え
stars中級書
stars平易な でも コワイ要素を秘めた入門書
stars雑学が増えました。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2006年12月14日

八重垣神社

 出雲大社で縁結びのお参りをしたあとは、個人的には天命を待っていれば良いのだと思っているのだけれど、世の中にはせっかちな人もいる。一緒にお参りした友人もそのような人であった。いつの日か、今日の願いを聞いてくれた神様によって良縁に結ばれる、と信じるだけでは物足りない。今すぐにでもその結果を知りたいのだ。

 出雲大社からそれほど遠くないところに八重垣神社という神社がある。素盞鳴尊(スサノオノミコト)が、大蛇(オロチ)を退治したあと、稲田姫と新居を構えた地と伝え言われている地に建つ神社の奥の、こんもりとした林の中に鏡の池がある。かつてはこの辺り一面がこのような鎮守の杜だったのだろうが、21世紀の今では、小さな小さな雑木林にしか見えない。恨むべきはこの近代に生まれた自分自身だろう。池の畔からは駐車場が見える。この池は稲田姫が鏡として使ったといわれていて、池にコインを紙に載せて浮かべ、その沈む速さによって縁談を占うという。紙が早く沈んだ方が早く良縁に巡り会えるのだという。

 特に結婚願望もない僕だが、折角この地を訪れたからにはその鏡の池の占いとやらをやってみることにした。一緒に訪れた友人は、かなりやる気満々だ。その姿に一抹の不安がよぎる。

 「もしここで、僕の紙が友人の紙よりも先に沈んだら、友人はあまり良い気がしないに違いない。」

 「もし万が一、友人の紙が沈まなかったりしたら、その後の会話が沈んでしまうの違いない。」

 そんな不安を抱えつつ、紙を池の水面にと置くのであった。そんな不安を抱えていることさえ、友人に悟られてはいけない。水面の紙は静かに漂うばかりだった。

 無言でそれぞれが紙を見つめても、そう簡単には紙は沈まない。静かに時間が流れていた。そのうち、友人の紙が吸い込まれるように沈んで行った。安堵した。友人の婚期はすごそこのはずだ!

江原啓之神紀行2 四国・広島・出雲
江原啓之神紀行2 四国・広島・出雲江原 啓之

おすすめ平均
stars中途半端
stars良書ですが
stars良い本です
starsでは「レビュー」します。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2006年12月07日

出雲大社

 松の並木を歩いていくと、それほど大きくはない鳥居に行き着く。その先には拝殿が見える。縁結びの神様で知られる出雲大社の拝殿は、左右非対称になっていて目を引く造りをしている。左右対称でない拝殿だけが変わっているわけではない。出雲大社ではお参りの作法も他の神社とは異なっている。普通は二拝二拍一拝なのだが、出雲大社では二拝四拍一拝なのだ。これが考古学者の心に触れるようだ。四は死を意味し、大国主命の怨念を沈める役目を負っている、なんていうのを読んだ記憶が蘇る。ここは長い歴史を持つ神社だ。もう創建当時の意味合いなど誰も本当のことは分からない。ただ分かるのは、正面以外の三方を山に囲まれている出雲大社は落ち着いていて、威厳があるということくらいだ。拝殿へと進む。右側に偏った正面にぶら下がる注連縄はやはり太い。出雲地方の神社の注連縄は、関東や関西の注連縄よりもかなり太いように見受けられる。屋根にぶら下がっているというよりも、注連縄に屋根がついていると言っても良いくらいだ。

 10月のことを一般的には神無月というのは、神様がお出かけしてしまうからで、ではどこに行ってしまうのかというと、ここ出雲に来ている。だから出雲では神無月とは言わない。日本国中、ひょっとしたら世界中から神様が10月になると出雲に集結するこの月を神在月と呼ぶ。今年の12月1日は旧暦の10月1日に当たる。神様が出雲の町にやってきた野田。町は神様で溢れ、屋台が立ち並び、宿の予約は取りにくい。なんていうのは神様の世界の話であって、人間側から見た出雲の町は静かで、出雲大社も静けさの中に佇んでいた。それでも八百万の神様たちに惹きつけられたように人間もいつもよりは大勢訪れているようだった。

 訪れている人の中では女性の人が多かった。やはり縁結びの神様だからなのだろう。他の神社ではあまり見られないくらいに真剣にお参りしている女性もいた。けれども今は神在月。縁結びの神様だけでなく、離縁の神様も来ているに違いない。あの女性たちの祈りがちゃんと縁結びの神に届いているのかどうか、人事ながら心配になってしまうのだった。僕の方はというと、特に結婚願望があるわけでもないので、いつも神社でお参りするときと同じように家族の健康と僕の仕事が順調にいきますようにと祈るだけ。結構控えめな方だと思う。これくらいだったら八百万の誰かが願いを聞いてくれても良さそうだ。いや、聞いてくれるに違いない。

神社の系譜 なぜそこにあるのか
神社の系譜 なぜそこにあるのか宮元 健次

おすすめ平均
stars説得力不足。
starsスペクタクル
stars神社に行きたくなりました。
stars言われてみれば・・・
stars神社がそこにある不思議に迫る

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2006年12月05日

妖怪

 境港には妖怪がいる。東京の永田町にも妖怪が跋扈しているが、それとは種族を別にしているのだろう。人間に媚を売るような真似はしない。永田町にいる妖怪たちが仕立ての良いスーツに身を包み、顔には笑顔があったりして一見すると妖怪とは気がつかない場合が多いが、境港のは違う。見てすぐに妖怪と分かる。一番の違いは、境港の妖怪は人間の欲や怠惰さに付け込むことはあっても、正直に生きている人間に害は及ぼさないところだ。

 境港のメインストリートである水木しげるロードには、沢山の妖怪のオブジェが置かれている。そう、ここは「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるさんの故郷なのだ。境港の駅から水木しげる記念館への道ばたには、水木さんが命を吹き込んだ妖怪たちで立ち並んでいる。

 それにしても沢山の妖怪がいるものだ。名前を知らない妖怪も沢山いた。ろくろ首や座敷童など、それなりに著名な妖怪は21世紀になっても自力で生き残ったのかもしれないが、その他大勢の妖怪たちは水木しげるさんの漫画がなければ、とっくの昔に忘れ去られ、博物館の中に納まっていたのかもしれない。そのような妖怪に取って水木しげるさんは、足を向けて寝られない存在だ。

 訪れたのが平日ということもあって、妖怪たちは誰にも相手にされず、少し寂しげであった。小雨の降る中、無言で立ち尽くしている。チョッカイを出す人間が周りにいないのだから仕方がない。妖怪は人間をおちょくってこそ、妖怪なのであって、人間から相手にされなかったら妖怪としては失格なのだ。その証拠に多くの妖怪は、人間の浅ましさや愚かさを狙って登場する。妖怪は生きていく人間の闇の部分を姿に現したものなのかもしれない。

 人が生きていくのには、多くの戒めが存在する。その多くは合理的とは限らない。人を殺してはいけないという戒めでさえも、いけないということはほとんどの人間によって共有されてはいるものの、その合理性を明確、そして簡潔に述べることは難しい。だから間違っているということではない。合理的な理由がなければ間違っているという訳ではないのだ。無批判に受け入れなければならないことも世の中に存在する。しかし合理性を追求するあまり、人間は闇の部分を捨ててしまったのではないだろうか。妖怪という存在によって、闇が闇であり続けることができた時代は終わりを告げ、今は人間が人間のままでかつての闇の部分を曝け出し始めたのではないだろうか。最近の凶悪事件を見ているとそんな気さえしてしまう。

 夕刻の水木しげる記念館では、地元の警察が飲酒運動撲滅キャンペーンをしていた。そこにはもちろん、鬼太郎とねずみ男の姿もあった。妖怪の世界でも飲酒運転は問題になっているらしい。

ゲゲゲの鬼太郎 ゲゲゲBOX60's & 70's 2ボックスセット (完全予約限定生産)
ゲゲゲの鬼太郎 ゲゲゲBOX60's & 70's 2ボックスセット (完全予約限定生産)水木しげる 野沢雅子 田の中勇

おすすめ平均
starsゲゲゲの鬼太郎
stars夏休みを思い出し
stars60’s&70’sの魅力とは?
starsついに出るんですねぇ…(涙)
starsついに...

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

本とか

面白そうな本とかはこちらからどうぞ!

フォトブログ

フォトブログもあります。ぜひのぞいてみてください。毎日更新しています。

20050811cat.jpg

大陸横断写真旅行記

韓国からドイツを目指した旅行記GO WESTもあります。

砂漠の駱駝
あわせて読みたいブログパーツ

BLOG PEOPLE TRACKBACK