下鴨神社
京都に行ってきた。久々の旅だった。京都に行くのは二度目なのだが、初めて行ったのは中学の修学旅行のときで、それはもう遥か昔のこと。今回が初めての上洛と言って良い。上洛なんて書くと大袈裟だな。気分は弥次さん、喜多さんです。
京都の中心部は碁盤の目のように道が延びている。これは平安京の昔からだ。桓武天皇が794年に長岡京から遷都して、明治維新まで日本の都だった京都は、隋・唐の長安に倣って碁盤の目のように道が整備されたという。長安と違うのは城壁が無いことだ。平安京だけでなく、日本の都市には城壁が無いことが多いのだけれど、海外では繁栄している都市は当然略奪の対象になるのだから町を囲む城壁があることが普通であるように思う。日本には異民族の略奪者が突然登場することなんて無かったからかも知れない。いずれにせよ、桓武天皇はこの地を都に選んだのだった。
そこでふと、疑問が浮かぶ。桓武天皇が都を置くまでの京都はどうだったのだろう。ただの草原?それとも荒れ地?と思っていたら世界遺産に登録されている下鴨神社にその答えがあった。平安京遷都以前のこの辺りは賀茂(鴨、加茂)氏の領土だったというのだ。下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖神社」という。その名のとおり賀茂氏の祖先を祀っている。公式サイトを見ると『崇神天皇の二年(BC二)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。』と書いてある。紀元前2年ですよ。イエス・キリストが産まれる以前の話です。本当かな?と思う前に神話の匂いを感じてしまうけれども、相当長い歴史を持つことには変わりはない。そして下鴨神社は上賀茂神社とともにもともとの領主だった賀茂氏の氏神を祀っている神社だった。その後桓武天皇が平安京遷都のため行幸、御親斎されてから皇室との繋がりが強くなったらしく、平安時代には皇城鎮護の神として高い地位が与えられている。それでは賀茂氏はどうしたのだろうと思うのだけれど良くわからない。代々下鴨神社の神事を統率していたようだが、ちょっと影が薄い。軽く調べたところでは方丈記を著した鴨長明が賀茂氏であることぐらいしか分からなかった。
賀茂氏と天皇家との繋がりは古い。神武天皇(神話ですな)が東征の際に熊野山中の険路に阻まれて立往生したときに天より翔け下って神武天皇を助け、大和までの道案内をつとめたという神の遣い八咫烏は賀茂氏の祖加茂建角身の化身であったという。つまり鴨長明は八咫烏の子孫ということになるらしい。もうダーウインも真っ青ですな。キリスト教右派の人々も納得がいかないだろう。
ちなみに三本足の八咫烏は日本サッカー協会のシンボルとして、日本代表のエンブレムにも用いられている。エンブレムをよく見ると三本足のひとつでサッカーボールを押さえていたりするのだった。
下鴨神社をもっと知るには...
| 世界文化遺産 下鴨神社と糺の森 | |
![]() | 賀茂御祖神社 下鴨神社= Amazonで詳しく見る by G-Tools |



