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飛び降りるつもり?

 良く使われる言い回しに「清水の舞台から飛び降りるつもりで」というのがある。だんだんと死語になりつつあるようなこの言葉は、橋田壽賀子さんのドラマに良く似合う気がする。というのはさておき、清水寺である。もちろん「清水の舞台」なるものはこの寺にある。寺なのに、写真やテレビで見る清水寺はいつもその「舞台」ばかり。いったい「舞台」とは何ぞやというのが、僕の長年の疑問だった。それがようやく解明されることになる。
 朝の6時から開いているとのことなので、5時半に宿を出て寺へと向う。空はまだ薄暗く、途中の一年坂、二年坂、三年坂の辺りの風景を独り占めできるだろうと思っていたら甘かった。どこの町でも老人は早起きなのだ。朝早くから老人たちは徘徊、いや失礼、散歩をしていた。犬の散歩をしている人たちもいる。僕にとっての京都は世界遺産のある観光地なのだけれど、ここに住んでいる人にとっては世界遺産もいつも見慣れている風景で、今日も昨日と同じいつもの生活を営んでいるという当たり前のことを実感させられる。そしてその思いは清水寺でピークへと達するのだった。
 早朝の清水寺には観光客の姿はまばらだった。その代わりおじいさん、おばあさんの姿が多い。彼らは黙々と清水坂を登り、頂上にある清水寺を朝の散歩の終着地点にしているだけではない。清水寺へと到着した彼らは、少し休憩した後に、おもむろに体を伸ばしたり、捻ったりし始める。中には数人で一緒の動きをしている集団もある。そう清水の舞台で朝の体操をしているのだ。そうしている内に寺のスピーカーからはラジオ体操が流れてくる。世界遺産でラジオ体操...。羨ましいのか、羨ましくないのか、その辺りの判断は微妙だ。でも舞台からの景色を眺めながらの体操は気持ちが良さそうなことだけは確実だった。彼らにとっては世界遺産も毎朝体操するだけの場所なのかも知れない。
 僕は別にラジオ体操をしに、清水寺に行ったのではない。寺にある「舞台」とやらを見るために登ったのだった。体操するおじいさん方に目を奪われつつ、「舞台」を見た。本堂の一部分が山の斜面にせり出すようにして建てられていて、長大な柱で支えられている部分が「舞台」と呼ばれるのだった。劇場などの舞台とは全く関係がないようだ。このような構造を「舞台造」と言うらしい。なんだか拍子抜けしてしまうような種明かしだった。しかし舞台は高い。「清水の舞台から飛び降りるつもりで」という表現が思い切って物事を決断することを意味するのが良く分かる。良く分からないのは「つもり」が高まって「つもり」じゃなくなった人がいたらしいことだ。かつて本当に飛び降りた人がいたのだという。それも234人も...。そして意外なことに生存率は85パーセントと高かったらしい。思い切って物事を実行すると、人間はそう簡単に死なないようです。

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