ジダン
今更ながらのW杯の話。
決勝は史上2回目となるPK戦での勝者の決定になった。これは詰まらない。史上初めて決勝がPK戦になったのは1994年のアメリカ大会だったけれど、この時負けたイタリアの最後のキッカーはあのロベルト・バッジョであった。ボールが大きく枠から外れたあと、腰に手を当てて俯くバッジョの姿を世界中の人が見ていた。僕も彼が某新興宗教の信徒であることとは関係なく感じた。敗者の美学を。本人は勝った方がいいと言うに違いない。結果が全てのスポールの世界においては勝つことが全てなのかもしれない。しかし美しく負けるのも、また人々を魅了するのだ。Johnnie WalkerのCMにも採用されたし。
しかしながらドイツ大会のPK戦にはそのような美学はなかったし、耳目を集めたのはジダンの退場だった。日本のワイドショーでも散々取り上げられていた。この試合を最後に引退を表明していたジダンのあっけない姿にみんな唖然としていたのだった。人種差別的発言があっただの、家族を侮辱されただの、色々と憶測された事件であったのだが、結局はよくわからないまま事件は幕引きされた。
どこかおかしくないかな。
そもそもジダンは時折「キレル」選手であることはサッカーを見ている人だったら知っているはず。優勝した1998年フランス大会でもサウジアラビア戦で相手選手を踏みつけ、2試合の出場停止処分を受けている。だから決勝でマテラッツィに頭突きを喰らわした時にも、ああ悪い癖が出た、というくらいにしか思わなかった。それがあれよあれよと大問題に。ずるいな、ジダンは。別にマテラッツィが極悪非道の選手ということではないだろう。選手の中には「言葉」で相手を挑発する選手がいて、たまたま挑発に耐えられなくなったジダンが悪いのではないのか。マテラッツィはそれを見越して挑発していたのではないかとさえ思ってしまう。それを家族を侮辱されただの、人種差別発言だの、問題をすり替えている気がしてならない。正義を貫いたみたいな顔をしているジダンを見ると、なんだかとても格好悪く見えてしまう。


